まほろば通信Gallery
「美濃の弟彦」の名は古事記の方には出てきません。日本書紀の中に小碓王子が西征の際に「弓の上手な者を連れて行きたい」と希望して、「美濃に弓の名手がいます。弟彦公(おとひこのきみ)といいます」と奏上したものがあり、それに寄って召されて同行した、と記述されています。ヤマトに名が響くほどの腕で、熊襲でも活躍したようです。
「仮寝の夢」の気分を引きずってて不機嫌だったり…(笑)
私の希望として、タケルを一人で死なせるのが忍びない、という思いがずっとありまして、誰かの腕の中で死なせるために…という願望が生み出したキャラクターなんですね。媛たちは戦場には同行することも出来ませんし、どんな戦いの場でもずっと一緒にいてくれる人が欲しいなあ、そうしたらやっぱり腕の立つ男でないと、というので生まれたのが弟彦のキャラクターだったのでした。考えてみたら生まれた時から死ぬまでほとんど一緒にいるんですから、ほとんどタケルの人生の伴侶みたいですよね(笑)
タケルよりも4才年長。次男なんだけど、兄が幼い頃に死んでいるので、ほとんど長男みたいな感じ。兄みたいだけど「弟彦」という名前の理由はそんなところにあります。
もしも平和な世界のままで美濃でタケルと兄弟のままに育っていたら、それぞれが家庭を持って平凡だけど幸せな兄弟としての生涯を送ったと思うのですが、タケルの出自の真実がそれを変えてしまった。
引き離された数年間の間にお互いの大切さが身にしみたのだろうと思います。
弟彦の場合の大切さがどこで恋愛めいた感情に変化するのかはまだ描いていませんが…。タケルに対する想い以外はきわめてノーマルなんだけどな。
「仮寝の夢」のタケルとは違って、据え膳はありがたくいただいてしまうタイプです(笑)そのあたりの感情は割り切ってしまえるのかな、と思います。本気で愛した相手に対しては誠実だと思うんですが、なんだかいつのまにか「タケル第一」になってしまったから、その誠実が向う相手がタケルになってしまったんですね。
美濃の跡継ぎの立場をほっぽって来たくらいですし、生涯を賭ける覚悟があるから、いつ死ぬかわからない自分自身については妻子を持たないことにしているのかな。きっとどちらも同じウェイトで大切にすることは不可能だとわかってるんですね。だからそうじゃなくて「遊び」だって割り切ってしまえる場合にのみ、ほどほどに遊んでいます。…でないとすごくストレスたまりそうだし(笑)
あの性格のタケルに対して、この弟彦あり。タケルがまた違う性格だったなら、この弟彦はいないんだろうな、と思います。
でもこの二人の関係はすごい私にとっては理想だったりするのですね。
舞台裏では犬がじゃれてるみたいなイメージがあります。弟彦がいたから、タケルは自分を不幸だとは思わなくてすんでいるのかなあ、と。
愛することで強くなれるタイプの典型ですね。決して同等の愛を返して欲しいとは思わない。一途で強い愛は一種の信仰に似ているような気がします。でないと大変な人生、やってられないよね。
「天翔ける白鳥 ヤマトタケル」(小椋一葉・著)によりますと、弟彦を祀った神社も存在します。ひとつは福岡県田川市の「白鳥(しらとり)神社」で、弟彦の子孫が神職として定住し、弟彦命を祀った、とあります。
もうひとつが近江国一の宮、建部神社の末社として、弟彦と共に参戦した弓の名手も加えて祀った末社・箭取(やとり)神社があり、彼等の子孫にあたる人たちがいまでも新年には弓射の儀式を奉納するのが通例になっているそうです。
本当に好き勝手に書いてて、子孫の方々には申し訳ないですが、でもこれも愛なんです〜。歴史がらみの作品なんて愛がなければ描けないですよ、本当に(笑)
※このメモは私の気分に応じて増えたり減ったり、書き加えたり、いろいろ変化すると思います。
まあ、きまぐれなページですから…(笑)
モノクロのカットは過去に作った個人誌の中から採りました。