まほろば通信Gallery
タケルの服を縫う弟橘媛です。やはりお裁縫とか機織りとか染め物とかは
古代でもそれなりに女性のたしなみのひとつだったのではないかしら?
という過程のもとに描きました。
平安時代のことならばそれで間違いはないと思うのですが、
さらに古代だとあんまり自信も根拠もないんですが…(^^;
でもやはり恋しい人のためになにかしたいと思うのは自然な気持ちですし、
心を込めて…というと、手作りかなあ、と思えて仕方がないんですよね。
恋しい人の無事を祈りつつ、帰りを待ちつつ、
ひたすらに働く手のうちに念が入っていくのかなあ…と。
「形代」は本来人形などのことなんですが、この場合は
すでに衣であってもそれに相当しそうな感じですし。
媛にとっては衣がタケルの形代で、それを身に付けるタケルには媛の形代だったりとかね。
…そういうイメージですね。互いの無事を祈りながら…。
そうすると西征の折に倭媛がタケルに手渡した媛自信の衣装も、
その衣に込められた呪力に意味があるんだろうな、と思えます。
巫女の力を少しでも貸したいと望んだのが普通だと思いますし。
それでなければ女物の装束をわざわざ渡しても意味がないんですよね。
荷物になるだけだし(笑)決して誰の服でもよかったわけじゃないよなあ、と…。
結果的にああいうふうに役立ったのは意図したとおりかどうかはわかりませんが…。
まあ、両性具有の力はあるよね、と昔から言われてもおりますし。
あれも形代とみなしていいと考えております。
今回もスペースを生かすつもりが、結構花で埋まってしまいました。
背景の花は箱根空木のつもりです。
グラデーションで咲く花の色が素敵なんですよね。
古代の糸巻きはどういうものかとかなり悩んだのですが、
機能を考えると現代と大差ないように思えて、こういう形にしてしまいました。
意外とこういう資料は残っていなかったりしますよね。
でも一度本物を見て確認してみたいなあ、と願ってしまいますが…。
今の世の男性も別れた彼女からもらった手作りの
ものの始末には悩むことが多いとか…(^.^)
念が入っているようなものって、やっぱり思いきって
処分するのには勇気が必要かもしれません。
食べるものなら残らなくていいけれど…。特に好意があるわけでもない相手に
もらった手作りのものって、さらに悩みの種になりそうな…。
あっさりともとカレのプレゼントのブランド物を処分してしまう
女性の方がしたたかというか、なんというか…(笑)