まほろば通信Gallery
7 出逢い
少女に初めて出逢ったのは春の終わりごろだった。いつしか大和は実りの季節を迎えていた。豊かに実った稲穂が金色に揺れる。小碓は両道入媛に誘われた。
「倭媛さまにお届けする山の実りを捜しに行きたいの。小碓、いっしょに行かない?」
媛にとってはたまの外出だ。供をする従者よりも小碓と出掛けた方が気分的にも開放感が持てると感じたらしい。
「大丈夫だ。叔母上の護衛も私が出来るから」
と小碓は七掬を説得し、七掬もしぶしぶ承諾した。小碓にとっても息抜きが出来る機会だ。ただ、足往だけはさも当然のように二人のあとをついて来ていたけれども。
アケビや栗の実、さまざまなキノコ類など、気候がいい年の山の恵みは豊かだった。二人の持つ手籠の中はすぐに一杯になった。神饌にするにしても珍しいものがある方がいいかもしれない、と考えた二人は知らない間にかなり山の奥深くにまで踏み入っていたらしい。どこかに滝があるのだろうか。遠くに聞こえていた水音が次第に大きくなった。
「叔母上、足下にお気をつけて」
あまり人々が立ち入らない奥にまで来てしまったようだ。木々の繁茂が密集し、足下がよくわからない。
「そろそろ引き返しましょうか?」
と小碓が言った時、人と犬の気配に驚いたのか、突然、茂みから一匹の鹿が飛び出した。驚いて退いた両道入媛の足下が突如崩れた。
「叔母上!」
悲鳴と水音。さほどの高さではなかったが、そこは崖になっていたらしい。そして流れの激しい渓流が媛を呑み込む。小碓はただちに飛び込んだ。流れの激しさに思うように媛に辿り着けない。小碓が流れに足を取られて、水を飲んだ時、下流にいた男が飛び込むのが見えた。男はしっかりと媛を抱きかかえると、小碓にも片手を伸ばした。彼に掴まった小碓は必死に岩に手を伸ばし、自分の安全を確保した。
媛を抱えて岸に上がった男は小碓に向って叫んだ。
「火を熾せ。そこに火打ちがある」
その瞬間、小碓はその男の姿をはっきりと認めて驚いた。---誉津別王子だった。
「なにをぼんやりしている」
と言われた小碓は我に返った。晩秋の渓流の水は冷たく、吹く風に身体が震えた。小碓は慌てて枯れ草や枯れ枝を集めて、川岸で火を熾した。媛は気を失っている。
「さほど水を飲んでもいないようだ。案ずることはない」
誉津別は媛の体温が奪われないようにしっかりと胸に抱きかかえていた。小碓は自分も濡れた上衣を脱いで火にあたった。足往も側に来ていたが、誉津別に向って威嚇することはしなかった。枯れ枝を火に放り込みながらも、小碓の頭の中は混乱していた。今の誉津別はどう見ても普通の人間に見える。第一、話せない、ということではなかったのだろうか?小碓の困惑を見抜いたように誉津別は軽く笑んだ。
「そなたにわかってしまうことになろうとは…思わなかったが…」
「…あの…誉津別の伯父上ですよね…?」
誉津別は頷いた。
「この私が本当の私だ」
「どうして話せないふりなんか…」
「佐保の残党の中にはいまだにかつての望みを忘れられぬものがいるようだからな」
滅びたはずの佐保の一族。しかしわずかに残るものたちは王子が健在ならば、いまひとたび王位を狙えると考えているらしい。
「いまさら愚かなことだ。私はすでに世捨て人だというのに」
佐保のものたちに再び野心を抱かせぬように、誉津別は狂人のふりを装っていた。
「彼等が諦めてくれればよいのだが」
小碓には誉津別の気持ちがなんとなくわかるような気がした。
「このことを知っているのはわずかな側近のものだけだ。そなた、小碓、このことを父に話すか?」
小碓は必死で首を振った。ただ静かに穏やかに暮らしたいと望んでいる伯父に野心などがあるとはとても思えなかった。
「ただ、こうしていると時折自分がなんのために生きているのかわからなくなることもあるが…」
誉津別は苦い笑みを浮かべる。
いつしか両道入媛が誉津別の腕の中で正気を取り戻していた。いつから媛が誉津別の話を聞いていたのかはわからない。しかし小碓は彼女の頬が薄紅く染まっているのに気付いた。