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 火天 - 迦具土(カグツチ)

荒れ狂う波間に弟橘媛の姿を見失ってから幾日過ぎたろうか。

 

 

あの時、すぐさま飛び込もうとしたタケルを力ずくで引き止めた俺を彼はしばらく許さなかった。

けれども「生きろ」という媛の意志を無駄にさせるわけにはいかない。

すぐにでも翔け去ろうとうする魂を現世に留めておくためにはやはり彼にとっては理不尽な力を使わずにはいられない。

 

……他に方法が見つからなかった。

必死の呼び掛けはようやく彼にも届いて、タケルは再びこの世に戻ってきた。

 

 

けれどもいま再びこの地に立つタケルはかつてのタケルではなかった。

途方にくれ、かつまた自暴自棄ともいえる言動が増えた。

愛するものを亡くして、もはや生きることそのものに執着もしていない。

しかし皮肉なことに研ぎすまされた神経のなせる技か、彼の剣はいっそうの凄みを帯びるようになった。

ためらいなく骨を断つ激しさ。反射的に相手の武器を手折る速さ。

 

 

「弟彦。どうやら私は人ではないものになってしまったのかもしれない」

 

自嘲めいた薄い笑み。快活な笑顔が消えてすでに久しい。

彼の存在自体が研ぎすまされた刃のように思える。

近寄るものを傷つけて、自らも傷付いて。

 

 

昼間の戦闘の名残りで昂るままの気持ちを鎮めようとして口に運ぶ酒にも酔えずにいる。

そして身近には一切女を近付けようともしない。

酌をするべくしなを作る遊行女婦(うかれめ)の手さえも煩わし気にはねのける。

 

 

そしてこのところ幾日も眠れずにいる。

けれどもその憔悴を兵たちには悟られまいと振る舞う。

彼の精神(こころ)は細く極限まで張り詰めた弦に等しい。

危うさに胸が痛む。彼の喪失はそれほどに大きい。

 

 

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冬の夜、強まる風が雪の到来を告げていた。

その夜もタケルと俺はとりとめのない話をしながら酔えない酒に口をつけていた。

ほんのひととき、眠りかけたようだ。ふと気付くと眼の前に座っていたはずのタケルの姿が見えない。

不吉な予感が心をよぎる。

すぐさま彼を捜すべく飛び出した。

 

 

降り始めた雪はすぐに吹雪の様相を呈している。

薄く氷が張った真冬の川の中に彼はいた。

 

「何をしている!?」

タケルはなにかに憑かれたような眼差しで凍るような水を浴びていた。

「ああ、弟彦。…血の匂いが消えなくて…禊をしないと…」

「馬鹿!無茶するんじゃない!」

有無を言わさず水の中から引きずり出し、すぐさま小屋にとって返した。

 

 

 

濡れた服を脱がせ、乾いた布でくるんでから、火を強くするために薪を放り込む。

そうしている間にも彼は震えている。

火のそばに座らせ、さらに毛皮を着せかけると、それにくるまって彼は丸くなった。

その表情は道に迷った子供が途方にくれ、いまにも泣き出しそうな顔に見える。縋るような…子犬の眼差し。

 

 

冷えきった手足をさすりながら、この寂しい子供をどうすればいいのだろうかと悩んでいる自分に気付いた。

もはやタケルは幼い子供ではないのに。

他の誰にもこういう弱さの部分は見せはしないだろう。

が、いま俺の目の前にいるのは泣き出しそうな小さなオグナだった。

 

 

タケルは丸くなったまましばらくじっと燃える火を見つめていた。

「まだ寒いか?」

哀し気な眼差しが返ってくる。

 

 

-----いきなり、彼の手が俺の髪を掴んだ。

痛い、と思う間もなく、唇に彼の唇が触れた。

「…まだ…寒い…」

泣き出しそうに潤む睫毛の影が揺れる。

俺は息を呑んだ。

「言っておくが…途中ではやめないからな」

 

 

---無言の肯定。

火天・火天

炎そのものと化した行為の果てに、声にならない彼の慟哭が響いた。

そして泥のように疲れ果てて、気を失うように眠りに落ちる。

少なくとも今宵は夢も見ないですむだろう。

火天•伽具土

その夜から、昼間の戦闘で研ぎすまされた神経を鎮めるために彼を抱いて眠る夜が増えた。

なにも考えない、夢も見ない。ただひたすらの無心の眠り。

 

 

これはほんの束の間の蜜月。そんな予感がした。

翼を休めた鳥はやがて遠からず自らの力で羽ばたくだろう。

再びこの世に愛するものを見いだすこともあるだろう。

…それでいい、と思う。

 

 

「あの人はいつもどこかへ飛び去ってしまうから…」

 

…いつかの日の弟橘媛のつぶやきが聴こえた…。

 

 

 

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賛否両論があるかとは思いますが、こういうふたりのつながりは

もう何十年も前から私の中にはあったので、

機会を見つけて描いてみたいとはずっと思っていました。

自分では気付いていないのでしょうが、

こんなふうな甘え方が許されるのは弟彦に対してだけで、

それってすごくタケルには幸せなことだと思うのですが。

弟彦はおそらく対等な愛情の見返りは求めていないし、愛することで自分が強くなれて、

それが生き甲斐にもなるというタイプです。

実際にタケルがこんなふうに弟彦を求めたのは喪失感の痛みを埋めるためで、

やがて美夜受媛に出会うことで、再びの笑顔を取り戻せるのですけれどもね。

 

一人称で文章にすると甘くなりすぎるきらいがあるので、

かなりセーブはしたつもりですが…。

 

今回炎のイメージだというので、いつもは使わない調整レイヤーを使いました。

やはりこういう時には便利なものですね。

今回はひたすらにタケルを泣かせてみたかった、というのが一番の動機です(笑)

結構人前では意地はってて涙を見せないんじゃないかと思いまして。

心を許した相手だけが見られる顔、というので、寝顔の次が泣き顔だったりします。

泣かせつつ楽しんでたりして…(笑)まあ、作者の特権です(笑)

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