月讀の 光に来ませ足疾(あしひき)の 山寸(やまき)隔(へ)なりて遠からなくに 月讀の 光は清く照らせれど 惑へるこころ思ひあへなくに 天に座す 月讀壮士 幣(まひ)はせむ 今夜の長さ五百夜継ぎこそ 天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てる越水(をちみづ) い取り来て 公(きみ)に奉りて をち得てしかも
月余美の 光を清み神嶋の 磯海の浦ゆ船出すわれは 海原の 道遠みかも月讀の 明(ひかり)少なき夜は更けにつつ

ツクヨミ(ツキヨミ)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

『記紀』においては伊弉諾尊(伊邪那伎命・いざなぎ)によって生み出されたとされる。

月を神格化した、夜を統べる神であると考えられているが、異説もある。

天照大神(天照大御神・あまてらす)の弟神にあたり、

素戔嗚尊(建速須佐之男命・たけはやすさのお)の兄神にあたる。

ツクヨミは、月の神とされている。しかし、その神格については、

文献によって様々な相違がある。

 

『古事記』ではイザナギが黄泉国から逃げ帰って禊ぎをした時に

右目から生まれたとされ、もう片方の目から生まれた天照大御神、

鼻から生まれた建速須佐之男命と共に重大な三神(三柱の貴子)を成す。

一方、『日本書紀』では伊弉諾尊と伊弉冉尊の間に

生まれたという話、『古事記』とは逆に左目から生まれたという話、

右手に持った白銅鏡から成り出でたとする話もあり、

支配領域も天や海など一定しない。

 

ツクヨミは太陽を象徴するアマテラスと対になって誕生するが、

比較神話学の分野では、様々な神話に同様の発想があることが指摘されている。

例えばギリシア神話においても

太陽神アポローンと月の女神アルテミスが双子とされる。

中国の盤古伝説には、盤古が死してその左眼が太陽に、

右目が月になったという起源譚があり、また、『旧約聖書』の創世記では、

天地創造の四日目に、神が空の中に「二つの巨いなる光」、

すなわち太陽と月を創り上げて、それぞれに昼と夜を司らせ、

光と闇を分けたという日月の創造が語られている。

 

 

 

 

日本神話において、ツクヨミは『古事記』『日本書紀』の

神話にはあまり登場せず、全般的に活躍に乏しい。

わずかに『日本書紀』第五段第十一の一書 で、

穀物の起源が語られているぐらいである。

これはアマテラスとスサノヲという対照的な性格を持った神の間に

何もしない神を置くことでバランスをとってい るとする説もある。

 

同様の構造は、高皇産霊尊(高御産巣日神・たかみむすび)と

神皇産霊神(神産巣日神・かみむすび)に対する天之御中主神(あめのみなかぬし)

火折尊(火遠理命(ほおり)・山幸彦)と火照命(ほでり・海幸彦)に対する

火酢芹命(火須勢理命・ほすせり)などにも見られる。

スサノヲとは支配領域やエピソードが一部重なることから、

同一神説を唱える者もいる。

 

 

 

タロットカード「月」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

ウェイト版とマルセイユ版を見比べて分かるように、22枚の大アルカナの中で

ウェイトが(世界などと同じく)大きく構図を変更しなかったうちの1枚である。

水(濠)の中の甲殻類の位置や建物の形の他は全体の

配色程度に留められている。

細部変更のみを用いて、ウェイトはここでも表現の大胆な革新を試みている。

 

マルセイユ版で描き表される前人未到の荒野は、現実的な緑色ではなく

黄金色であることから、精神世界の事象、または理想化された状況を意味する。

一対として描かれる2匹の犬、2棟の建物と共に双子の反復表現であり、

無意識の中から出現する像が、18番の「月」においてより意識的に

具体性を帯びてきたことを表している。

月光として描かれる「雫」の象徴も同様に、

精神性が明確な形を帯びてきた様子を表しており、

これは「塔」で飛散し、「星」で瞬いていたものと同一である。

カードの両脇には「塔」のような建物が見える。

ウェイトの建物は「世界」 への入り口となる"門"を表し、

まるで監視塔の様な威圧感をもって描かれる。

 

右の狼は自己の内面における動物的本能を、左の犬は理性や社会性を象徴し、

ザ リガニと合わせて同一状況に置かれたそれぞれの違いを表現する。

マルセイユ版の建物は違う立場にある対象的な存在を象徴し、

時の流れを左右にみてとれば新 旧の(精神的な)相反性を表現する。

対に描かれる犬も、性質が対する同一存在の対立像を通して、

内面に浮かぶ葛藤を表現している。

この意味での二匹の犬 は、心の中の「避けられない試練」の象徴である。

 

ザリガニは、カードの意味を方向付ける上で重要な役割を果たしている。

ギリシャ神話では、カニがヘラクレスを川へと引きずり込もうとする等、

甲殻類は人の意を介さない下等な生き物として描かれる。

このザリガニはカードを見る者の側では無い方を向く。

ウェイト版の水辺へと乗り出す姿は次段階への進歩を予感させるが、

マルセイユ版では水場に沈み、二匹の犬と同じく未だ試練を

超えていない状態を示している。

 

《カードの要旨》ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

自らが導く、未だ見えざる真実への道程。それを辿ることの困難

 

《月の象徴》ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

真実への導きを与える、無名無形の見えざるもの

 

《正位置の意味》ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

不安定、幻惑、現実逃避、潜在する危険、欺瞞、猶予ない選択

 

《逆位置の意味》ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

失敗にならない過ち、過去からの脱却、徐々に好転、

(漠然とした)未来への希望、優れた直感

 

 

Wikipediaより

 

 

…そんなわけで、日本神話の中では存在感が薄い月夜見(ツクヨミ)です。

ギリシャ神話のアポロンとアルテミス同様に、アマテラスと双子でも面白いなあ、と思いますが。

それでもギリシャ神話と違って、男女が逆なのが興味深いですね。

三貴子の中で、アマテラスとスサノオは活躍が目立ちますが、ツクヨミは本当に出てきませんね。

農耕の国である日本で太陰暦が実用に使われていたように、

月に対して無関心であったわけがないと思うのですが…。

 

まあ、いずれにしても奥ゆかしいというか控えめというか、そういう印象は強いですね。

アマテラスが強すぎたのかもしれないなあ…、と想像してみたり (^_^;)

剣は実用向けというよりも飾り物っぽい感じかもしれません。

 

 

 

 

アマテラスに対比して、銀と青のイメージで描いてみました。銀髪とか。

アマテラスの時も黒髪ではないバージョンも考えたのですが、結局それはボツになりました。

それでも華やかだったから結果的にはよかったかな?と思います。

ツクヨミも銀の髪が神秘的とか控えめな感じに見えるといいのですが…。

夜を統べる神、というのも個人的には気に入っております (^_^;)

 

 

 

Inspiration Gallery

Copyright (C) 2001-2023,Haruusagi All rights reserved.