此の時、伊耶那伎命(いざなぎのみこと)大く歓喜(よろこ)びて詔りたまはく、 「吾は子を生み生みて、生みの終(はて)に三(みはしら)の貴き子を得つ」と のりたまひて、………………
太陽ーアマテラス
…………御頚珠(みくびたま)の玉の緒もゆらに取りゆらかして、 天照大御神(あまてらすおおみかみ)に賜ひて詔りたまはく、 「汝命(いましみこと)は高天原(たかまのはら)を知らせ」と事依(ことよ)さして賜ひき。
太陽 アマテラス

天照大神(あまてらすおおみかみ)ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

日本神話に登場する神である。

『延喜式』では自然神として神社などに祀られた場合の

「天照」は「あまてる」と称されている。

記紀によれば太陽を神格化した神であり、

皇室の祖神(皇祖神)の一柱とされる。

信仰の対象、土地の祭神とされる場所は伊勢神宮が特に有名。

『古事記』においては天照大御神(あまてらすおおみかみ)

『日本書紀』においては天照大神(あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみ)と表記される。

 

『古事記』においては「天照大御神」という神名で統一されているのに対し、

『日本書紀』においては複数の神名が記載されている。

伊勢神宮においては、通常は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、

あるいは皇大御神(すめおおみかみ)と言い、神職が神前にて名を唱えるときは

天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)と言う。

『日本書紀』ではスサノオが姉と呼んでいること、

アマテラスとスサノオの誓約において武装する前に御髪を解き角髪に結び直す、

つまり平素には男性の髪型をしていなかったことに加え、

機織り部屋で仕事をすることなど女性と読み取れる記述が多いこと、

後述の別名に女性を表す言葉があることなどから、古来より女神とされている。

また一般に大和絵や宗教、日本人が最初に神代の時代を知る

小中学校の社会科などでも女神として表されるのが主流である。

 

 

 

言語学的には別名「オホヒルメノムチ」の「オホ」は尊称、

「ムチ」は「高貴な者」、「ヒルメ」は「日の女神」を表す。

『日本書紀上』岩波書店の注も参照のこと。

また、イザナギとイザナミの子のうち、アマテラス・ツクヨミの弟、

スサノオの兄として「ヒルコ(日ル子)」という男子が生まれている

(三年たっても足がた たなかったため、遺棄されてしまった)が、

「ヒルコ(日ル子)」と「ヒルメ(日ル女)」の男女一対の言葉の対象性は、

「ヒコ・ヒメ」、「ヲトコ・ヲト メ」、「イラツコ・イラツメ」など、

古い日本語に伝統的に見られるものでもあり、

名前からも女神ととらえることが順当である。

 

中世には仏と同一視されたり、男神とする説も広まったが、

『日本書紀上』日本古典文学大系は男神説を明確に否定している。

天照大神は太陽神としての一面を持ってはいるが、

神御衣を織らせ、神田の稲を作り、大嘗祭を行う神であるから、

太陽神であるとともに、祭祀を行う古代の巫女を反映した神でもある。

天照大神が女神とされるのはその原型の一つが

日神に仕える巫女であったことにもよる。

ただし、日本語においては「メ」は「女」をさす音であり

(ヒメ、ウズメ、ナキサワメなど)、

女神の名で「メ」を「妻」「巫女」と解釈する例はないともいわれる。

 

 

 

タロットカード「太陽」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

象徴的に太陽は、朝を告げ、光を与え、活力の源であり、

陽であり、プラスである。しかし、太陽の熱は時として、水を枯れさせ、

大地を荒らし、あらゆる生命を脅かす脅威ともなる。

こういった両面は古来より男性を陽として表してきたことを

納得させる部分と言える。

また、太陽を神として崇める風習(太陽信仰)も

エジプトやアステカ・日本など世界各地で多く見られる。

 

マルセイユ版では、人の顔を持つ「太陽」と降り注ぐ数多の雫の他に、

互いに青い腰布を巻いた2人の子供、後方に見えるレンガ造りの壁、

子供の足元に置かれた2つの石が確認できる。

この太陽は、対立する性質の融合を表している。

太陽から伸びる太い16本の光線は、鋭角的に尖ったものと

柔和的にくねくねしたものとが交互に描き表されているが、

これは太陽が肯定的エネルギーと否定的エネルギーの両方を

併せ持っている事を表しており、あらゆる対立する力の

究極的な結合によるエネルギーを持つと解釈される。

 

さらに「太陽」の顔は(「月」が横向きなのに対し)正面を向いている。

これは太陽の影響力が広大であり、また恒常的に行われていることを表す。

即ち、太陽は地球をはじめ太陽系諸惑星の中心であり、たとえ夜であっても

その活動が止まることはなく、人間の内外におけるリズム、

果ては宇宙のリズムに欠かすことのできない

偉大な存在であることを暗示している。

 

この「太陽」だけを見ると、まさに完成された究極存在であり、

一連の大アルカナの最後に位置すべきカードのようにも思える。

しかし「太陽」は19番で、後に2枚も控えている。

19番たる所以は2人の人間が描かれる事によって表されている。

この2人は子供である。

しかしそれ以外に身体的特徴は描かれていない。

ただ一つ明らかな点は2人が非常によく似ていることで、

これは双子の 象徴である。

この点を踏まえるなら、象徴的に腰部分を隠すことを

「互いに異性同士である」と強調していると解釈できる。

双子の象徴は「太陽」以前のカード にも多々登場した象徴であるものの、

確立された個別の人間として現実的に描かれるのは初めてである。

さらに対存在が直接的に干渉しあう描かれ方も初めてで ある。

これは「太陽」に至り、相反する2つの性質が初めて別個として区別され、

あらゆる対立物、即ち、男と女、霊と肉、心と身体などが

直接的・人間的な方 法で関わることが出来るようになったことを暗示している。加えて後方の壁は、2人の子供の立つ場所が、あらゆる外的要因から

隔絶された極めて安全な領域で あると保証し、

この段階における対立物同士の接触が何者にも邪魔されることなく、

太陽の仲介の下に行われていることを表している。

さらに足元の石は黄金色 であり賢者の石を連想させる。

つまり破壊することのできない本質を表すと解釈され、

この「太陽」における接触が、

極めて重要な本質的変革の第一歩であることを暗示し、

この後に控える最終段階への第一歩であることを暗示している。

故に、「月」によって蓄えられた雫は大地へ放出され、

再び大地を活性化させる。

 

 

《正位置の意味》ーーーーーーーーー

 

成功、誕生、祝福、約束された将来。

 

《逆位置の意味》ーーーーーーーーー

 

不調、落胆、衰退、堕胎・流産。

 

 

Wikipediaより

 

 

前にも描きましたが、再びのアマテラスさまです。

改めて神さまなどのカテゴリに入れました。

「和風」で「太陽」といえば、やはりこの方しか思いつかなかったというのが正直な所です。

 

今年は古事記編纂1300年だそうで、あちこちでさまざまな催しがあるようですが、

さすがに上巻のエピソードは「歴史」とは考えづらく、素直に「神話」と受け止めるのが

正解じゃないかなあ、と個人的には思っております。

子供の頃にギリシャ神話とかアラビアンナイトあたりとごちゃごちゃに親しんだので、

それらのあいだに明確な区別が存在しないというか… (^_^;)

でもその曖昧さの部分に、独自の解釈を取り入れて作品にする、

という醍醐味があるのだと思います。少なくとも私はそうです。

まあ、どの時代を見ても歴史は興味深い人間の営みに充ち満ちておりますし。

 

この流れで三貴子は新しいデザインで描き直すことになりそうだなあ、と思います。

古代のキャラは結構多くなりそうな気もしたり…。

もともと時代を下っても平安あたりまでにしておきたいとは考えているのですが…。

個人的に美味しいキャラもいくらか残しておかないと、カード22枚のラストまで

辿り着けないような気もしたりします… (^_^;)

 

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