大蛇の剣 (おろちのつるぎ)
大蛇の剣

速須佐之男命、其の御佩(みはか)せる十拳剣(とつかのつるぎ)を抜きて、

其の蛇(をろち)を切り散(はふ)りたまひしかば、

肥河(ひのかわ)血に変りて流れき。

故、其の中の尾を切りたまひし時、御刀(みはかし)の刃毀(か)けき。

爾に怪しと思ほして、御刀の前(さき)以ちて刺し割きて見たまへば、

都牟羽(つむは)の太刀在りき。故、此の太刀を取り、異(あや)しき物と思ほして、

天照大御神に白し上げたまひき。是(こ)は草那芸(くさなぎ)の太刀なり。

 

古事記

平家の滅亡の際に時子さんの手にしっかりと抱かれて壇の浦に沈んだ草那芸の剣。

あのシーンを見ていたら描きたくなってしまいました。

三種の神器といいますが、いままでの間にそのものがずっと無事で伝えられてきたとは思えないんですよね。

全部平家の滅亡と共に海に沈んだ筈です。

それ以外にもいろいろと紛失してしまったようなこともあっただろうな、と。

それではそもそもの神宝の力というのはどういうものだったんだろうかと考えると、

神宝に象徴される特殊な能力のものだったみたいに考えるのが楽しかったりします。

かなりファンタジーっぽい想像ですが、最初、人が神に近かった時代には

能力を媒介するものだったみたいに思えてきたり。

その力がどういう現れかたをしたのかはわかりませんが、

それをある程度使いこなすことが出来た人間が代々伝えてきたものだと想定すると楽しいですね。

 

倭媛も神剣であることは百も承知の上で、もしもそれを紛失したりしたら自分が責任を問われると知りながら、

守護のためにタケルにこれを手渡しますが、そこまでしても可愛い甥を守りたいと思っていて、

同時にタケルにならばその剣の力を制御することが出来ると信じていたんじゃないかなあ、と。

そういうことを考えていたらいくらでもイメージが拡がっていきそうです。

 

剣が主役の絵なのに一番手間ひまかかったのは実は鏡だったりして…(汗)

線画はやはりIllustratorで描いているのですが、私が描くとやっぱり手書きに見えますね(笑)

レイヤースタイルを使いまくってすっかり重い画像になりました。

まあ、あとで合成しているだけましかなあ、と。枠線もなんとなくIllustratorで。

構図そのものは「沙来」からの連想がずっと続いています。

なぜかこの配置が一番落ち着くみたいなんですよね。

 

 

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