平安王朝Gallery

神がきの みむろの山のさか木ばは 神のみまへにしげりあひにけり 霜やたび おけどかれせぬさかきばの たちさかゆべき神のきぬかも さかきばの かをかぐはしみとめくれば やそうぢ人ぞまどゐせりける
神使来訪
神まつる う月にさける卯の花は しろくもきねがしらげたるかな 足曳の 山のさか木葉ときはなる かげにさかゆる神のきねかな 稲荷山 尾上にたてるすぎすぎに ゆきかふ人のたえぬけふかな
神使来訪 杏珠
稲荷なる 三つ群烏(むれがらす)あわれなり 昼は睦れて 夜は一人寝 稲荷山 社の数を人問はば つれなき人を みつと答へよ 稲荷山 三つの玉垣打鼓(うちたた)き 我願言(わがねきこと)ぞ神も答へよ ーーーーーーーーーーーー梁塵秘抄
神使来訪 杏珠

神使(しんし)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

神使(しんし)は、神道において神の使者(使い)もしくは神の眷族で神意を代行して

現世と接触する者と考えられる特定の動物のことである。

「神の使い(かみのつかい)」「つかわしめ」「御先(みさき)」などともいう。

時には、神そのものと考えられることもある。

その対象になった動物は哺乳類から、鳥類・爬虫類、想像上の生物まで幅広い。

 

特定の動物が神の意志を伝えるという説話は日本神話の中にも見られる。

日本書紀の景行天皇記には、伊吹山の荒神(あらぶるかみ)が大蛇に化身して

日本武尊の前に現れたのを、尊は「大蛇は荒神の使いだろう」と言ったという記述がある。

紀の皇極天皇記には、猿を「伊勢大神の使」として、その声で吉凶を判じたという記述がある。

また同崇神天皇記では、大物主神自身が蛇の姿で妻問いに訪れるくだりがある。

 

時代が下ると、神使とされる動物は、その神の神話における記述や神社の縁起に基づいて

固定化されるようになり、その神社の境内で飼育されるようにもなった。

 

さらには、稲荷神社の狐のように、本来は神使であるものが祀られるようにもなった。

これは、神とは無関係に、その動物自体が何らかの霊的な存在と見られていたものと考えられる。

 

ーーーーーーーWikipediaより

 

私の感覚では、やはり動物の姿をしているのはどこまでも「神様のお使い」という

イメージなんですよね。眷属ではあるけど、神として主体的に祀られる存在ではない。

でも、「神様にお伝えしてね」って感じで頼みたくなる気持ちはありますね。

 

本来は神さまが「主」なんだけど、人の世界と神の世界を仲介するために、特に幼いうちは

人の世界で暮らして、人のことを学ぶのが修行というか…。

 

うちの白狐ちゃんはどうもそういう存在みたいです。

 

人間界でも見える人にしか見えないけど、子供らしく楽しんでいるところがありますね。

で、本来のお仕事、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)さまのお手伝いをする時は

ちゃんと礼儀をわきまえた子になるというか…。人間とはどこまでも同等なのが

おもしろいなあ、と思います。

 

…なんとなく自然にそういうふうになっちゃった (^_^;)

 

九尾の狐と白狐ちゃん

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