平安王朝Gallery

見てもまた 逢ふ夜まれなる夢のうちに やがて紛るる我が身ともがな [光源氏] よ語りに 人や伝へんたぐひなく 憂き身を醒めぬ夢になしても [藤壺]
輝く日の宮
もの思ふに 立ち舞ふべくもあらぬ身の 袖うち振りし心知りきや [光源氏] 月のすむ 雲居をかけてしたふとも この世の闇になほやまどはむ [光源氏] 入日さす 峰にたなびく薄雲は もの思ふ袖に色やまがえる [光源氏]
輝く日の宮ー藤壷の宮

(ふじつぼ)は、紫式部が著した小説『源氏物語』に登場する架空の人物である。

作中で藤壺と呼ばれる女性は3人おり、混同を避けるため藤壺の宮(ふじつぼ の みや)

または藤壺中宮(ふじつぼ の ちゅうぐう)とも呼ぶ。光源氏の初恋の女性。

桐壺更衣にそっくりの美貌の女性で、更衣の死後も悲しみに暮れていた

桐壺帝がその噂を聞いて熱心に所望し、14歳で入内する。

桐壺帝は藤壺と最愛の息子源氏を実の母子のように鍾愛し、

共にその輝かんばかりの美しさもあって、藤壺は源氏の「光る君」と並んで

「輝く日の宮」と称された(「桐壺」)。

藤壺が亡き母によく似ていると教えられ、5歳違いの彼女に懐いた源氏は、

元服後も彼女を慕い続けて、次第に理想の女性として恋するようになる。

そして藤壺が病のため里下がりした折に関係をもち(「若紫」)、

その結果藤壺は源氏に生き写しの男御子(後の朱雀帝の東宮、冷泉帝)をもうける。

何も知らない桐壺帝は高貴な藤壺が産んだこの皇子を「瑕なき玉」と歓喜し溺愛したが、

藤壺の心中は複雑だった。その年の秋に中宮に立后する(「紅葉賀」)。

その後桐壺帝から朱雀帝に世は移り、桐壺院崩御と共に弘徽殿太后(朱雀帝の母)側の

勢力は日に日に増大する。源氏・左大臣側の衰勢も著しく、主だった後見もいない

藤壺は源氏からの更なる求愛に悩まされた末、東宮を守るために出家を選んだ(「賢木」)。

東宮が元服し帝となった後は太上天皇に准ずる母后(国母)として、前斎宮(後の秋好中宮)

の冷泉帝入内に協力したりと政治手腕を発揮する。

37歳の厄年で重病に伏し、それまでの冷泉帝への後見を源氏に感謝しつつ崩御。

「薄雲」帖で亡くなったことから、出家後は後世の読者から

「薄雲女院(うすぐも の にょいん)」と呼ばれている。

没後、源氏が紫の上に藤壺のことをうっかり語った際、それを恨み源氏の夢枕に

立ったりもしている(「朝顔」)。また源氏が紫の上を見出したのも、そもそもは

紫の上が藤壺の姪で彼女に瓜二つの美貌であったためであり(「若紫」)、

後に朱雀院から女三宮降嫁の話を持ちかけられた折も、女三宮が紫の上同様に

藤壺の姪であることにも心動かされて承諾してしまう(「若菜上」)。

源氏の生涯を通じて彼の女性関係の根源に深く関わり続けた、

永遠の恋人といえる存在であった。

 

 

Wikipediaより

 

ご依頼をいただいて描かせていただきました、「輝く日の宮」藤壷の宮さまです。

いろんな意味で光源氏にとっての女性の原点ですね~。

これだけ生涯に影響をもたらした初恋の女人もいないかもしれません。

源氏はずっと彼女の面影を老い続けていくわけですから…。

女性としては苦悩が深くても幸せとも言えるのかな?

そのあたりの判断は難しいですが…。

 

皇(すめらぎ)と縁が深いササユリの花を抱えていただきました。

せっかくなので、背景にも大きく飾ってみました。

清楚なイメージがふさわしい方だと思います。だから天女の領巾も

描きたくなった次第です (^_^;)

いろいろとややこしい時期で、無事に描けるかな?という不安は少しだけありました。

それでも自分で納得出来る表情になったのは良かったなあ、と思います。

好きな源氏のキャラクターは尽きませんが、正統派の藤壷の宮、

描かせていただけて楽しかったです。ありがとうございました (^_^)

 

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